80年代のデートはファミリアハッチバックで決まり。

マツダの乗用車を知ってる?

今回は1980年代に一世を風靡したファミリアハッチバックの話なんだけど、まずマツダに付いて調べてみた。

出典:ウィキペディア マツダ 昭和6年 3輪トラックDA型

マツダの住所は広島県安芸郡府中町新地3-1、カープやお好み焼きでおなじみの広島の自動車メーカーじゃ。

設立は1920年(大正9年)でコルクを生産する東洋コルク株式会社だった。そういえば昔は東洋工業(株)って言ってたな。1984年にマツダ株式会社に変わったんじゃ。

昭和4年海軍省の指定工場として工作機械の生産や三輪トラックDA型を生産した。

三輪トラックは東南アジアでしか見かけないが、ひろしが小学生の頃には未舗装の道路を走ってた、後ろに飛びついて遊んだ事もあったな。

出典:ウィキペディア マツダ 3輪トラック

当時は国道が未舗装で幅も狭く苦労した。

自転車が砂利で滑って転ぶことが多く、膝をすりむいで痛い思いをしたもんじゃよ。

出典:ウィキペディア マツダ・R360クーペ

1960年(昭和35年)初の量産乗用車となるマツダ・R360クーペを発売した。

強制空冷90°V型2気筒OHV4ストローク356cc、16馬力という凝ったエンジンを後部に搭載した2人乗りのクーペ、価格はなんと30万円、アルミ合金やプラスチックなどの軽量素材を多用した意欲作だった。

ライバルのスバル360が広めの4座席で大人気となり、キャロルにバトンタッチする。

出典:ウィキペディア マツダ

1962年に本格的な4座の軽自動車、キャロル360を発売した。

水冷4ストローク直列4気筒OHVエンジンを後部に積む贅沢な仕様だったんじゃ。

後部の窓あたりを切り落とした独特なデザインは強く記憶に残ってる、どこでも見かけるヒット作だったが重量が重く動力性能不足からスバル360には勝てなかった。

マツダ技術力の証明 ロータリーエンジン

出典:ウィキペディア マツダ ロータリーエンジン

マツダと言えばロータリーエンジンのイメージがある。

通常のエンジンはピストンが上下するが、ロータリーエンジンはムスビ型のローターが回転しハウジングとの隙間で爆発を繰り返して動力を生み出している。

ロータリーエンジンはドイツのNSUバンケル社が開発し1964年にバンケルスパイダーに搭載したが特有の課題が残った未完成品だった。

マツダは血がにじむような努力で問題を解決し、完成された量産車として1967年(昭和42年)にコスモスポーツを発売した。

出典:コスモスポーツ DeAGOSTINI(デアゴスティーニ)

前期型L10Aには、10A型ロータリーエンジン(491 cc ×2)が搭載され110 PS /7,000 rpm、13.3 kgf·m /3,500 rpm を発揮した。車重は940kgと比較的軽量で羨望のスポーツカーとなったんじゃ。

おそろしくスムーズで高出力だが燃費が悪いと評価され良くも悪くもマツダのイメージになっていった。

しかしこれを世界で唯一量産した技術力は褒め称えられるはずじゃ。

出典:ウィキペディア マツダ・787B

その証拠に1991年のル・マン24時間レースでロータリーエンジン搭載のマツダ・787Bは日本車として初の総合優勝を果たしたんじゃ。

マツダ ファミリア登場

さて、ここでマツダの大黒柱になったファミリアを紹介しよう。

1963年、軽自動車のキャロルに加え本格的な普通車をが登場した、それがファミリアじゃ。

出典:ウィキペディア マツダ ファミリア MPA型

ボディタイプはセダン、クーペ、ライトバン、ステーションワゴン、ピックアップトラkkまであった。セダンとクーペのデザインは有名なベルトーネ、道理であか抜けてると思ったね。

駆動方式は今主流のFF(前エンジンの前輪駆動)では無くFR(前エンジンの後輪駆動)、

排気量は800ccで始まり1000ccも追加された。

初代トヨタ・カローラの主査の方は日産サニーより優れた評価をしたらしいが、マツダはロータリーエンジンの開発に注力しカローラの圧勝に終わる。

出典:ウィキペディア マツダ ファミリアアプレスト・ロータリークーペ

1967年にファミリアはフルチェンジして2代目のファミリアプレストになった。

セダン、クーペ、バン、トラックが有り、駆動方式はFR、念願のロータリーエンジン搭載車もあった。

出典:ウィキペディア マツダ ファミリアプレスト・ロータリークーペ

ロータリーエンジン搭載車は丸いテールランプが特徴じゃ。

2ローターロータリーエンジンで100馬力を発揮した。車両重量は約800Kgと軽く、重量級の他車スポーティーカーをぶっち切る速さを持っていた。

出典:ウィキペディア マツダ

1977年4代目のFA4型が発売された。グリルは当時ヒットしたコスモに似たグリルを持つFR車で1.3L直4SOHCと1.4L直4SOHCエンジンという至っておとなしいファミリーカー

平凡な車だが手ごろで広い車を求める層にアピールし、約3年で89万台以上を販売するなど予想以上の成功を収めた。

出典:ウィキペディア マツダ

今回は5代目BD型のカタログを紹介しよう。

出典:ウィキペディア マツダ ファミリアセダン

BD型は待望のFF車(前輪駆動)として発売された。

そのころ各社の小型車はFR車(前エンジン後輪駆動)が持っていたプロペラシャフトやデフが不要で室内が広く軽く作れるFF車に変わって行ったんじゃ。

これが5代目ファミリアハッチバックのカタログじゃ。

発売は1980年6月、いよいよ80年代が始まった。

ずいぶんカッコ良くなったな。

カタログも開放感あふれる内容になっている。芝生や海辺が似合います。

びっくりする高出力ではないがクルマを楽しもうというアピールが随所に。

こちらは5ドでアハッチバック。後部が開く便利性を知ってほしいね。

今では当たり前の事だけどね。

5ドアって日本人には人気が無かったらしい、重苦しく見えてカッコ悪いと思ったのかな。

フラットになる車内、クルマの中でリラックスできた。

出典:CBSソニー 松田聖子 チェリーブラッサム

ファミリアは若者に大ヒットした。その頃のアイドルで思い出すのは松田聖子

出す曲すべてがヒットして不動の地位を築いたね。

いつも彼女の曲を車のカセットテープから聴いてた。

赤いファミリアのダッシュボードに、ヤシの木の飾りが置いてあったのを思い出す。

南の島、青い海にあこがれた世代なんじゃ。

時代は低公害、省エネで使い勝手の良い車を求めていた。

技術のマツダはファミリーカーでも生きている。

FFならではのシンプルな動力周り、軽く作れるんじゃ。

コナリングも手は抜けない、日本はカーブが多いしね。

燃費は欠かせないアピールポイント。

大馬力でガソリンをバカ食いするマッチョな時代じゃない、草食系男子?

広さをアピール、後発車ほど広い。

各メーカーのFF車が出そろった後に発売された。

直線スタイルが新鮮だね、日本人って直性が好きみたいだ。

最新型ジムニーも直線スタイルで大ヒット。

ビッグユーティリティー、何度も使い勝手の良さをアピールしている。

椅子を倒して人も荷物も満載出来る。

折り畳み自転車がよく出てた、めったに乗らないけどね。

新しい出会いを求めて・・求めたい年頃ですね。

これが代表格のXG、よく売れました。

値段が書いてある107万円で買えた? 安すぎる。

これは97万円 こんなに安かったんじゃ。

というか今が高すぎる。

5ドアも100万円で買える。今は軽自動車でも200万円近いけど。

低グレードXLなら90万円じゃ、これでも良いや。

シックな色も良い、ヨーロッパ調だね。

85万円・・

こんなに安いとは思わなかった。

黄色が好き、彼女と海に行きたい。

フェンダーミラーも懐かしい、お役人がドアミラーを許可しなかった。

ハロゲンランプも装備、ハロゲンって言葉に高級感があった。

各種ポケットも充実してる。

フットレストが有るだけでスポーティーカーって感じだった。

オプションも豊富、エアコンは必須だね。

シビエのハロゲンランプ・・威張れました。

ストライプが時代を感じる、見た事無いけどね。

主力車種はボディーカラーも豊富、黒は無いんだ。

あらゆる年齢層に買ってもらいます。

北大路欣也もテニスルックでお勧めです、どうです、あなたの80年代はいかがでしたか?

今回はマツダの歴史と5代目ファミリアでした。

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