伊勢・航空戦艦、やっぱ空母の時代だったと戦艦組涙目
戦艦 伊勢の生い立ち
出典:艦これ 伊勢
伊勢(いせ)は、日本海軍の戦艦で伊勢型戦艦の1番艦で同型艦に日向(ひゅうが)がある。
元は戦艦 扶桑(ふそう)型の3番艦として予定されていて、国会が財務上の理由から予算を認めなかったが大正3年に認められた。
航空戦艦になる前の伊勢
建造途中に扶桑型は砲力や防御力、運用面等で問題点あり、アメリカの戦艦にかなわない事が発覚し、設計をやり直し伊勢と日向が生まれたんじゃ。
出典:ウィキペディア
航空戦艦に生まれ変わった伊勢
太平洋戦争後半には戦術変更(ミッドウェー海戦で主力空母4隻喪失など)に伴って、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、射出機を設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。
伊勢の工事は呉工廠で1942年(昭和17年)12月に始まり、1943年(昭和18年)9月に完了したんじゃ。
航空戦艦と聞けばたのもしく聞こえるが、要は艦隊決戦に執着し戦術の変化を読めずに戦艦ばかり作り続けた日本海軍が、航空母艦に似せてマイナーチェンジしたと言うわけじゃ。
しかし、時は遅く載せる航空機が無いほど日本海軍は落ちぶれておった。
航空戦艦 伊勢
進水:1916年11月
最期:1945年(昭和20年7月)
公試排水量:38,662トン
全長219.62m
最大幅:33.83m
出力:81,050hp
速力:25.31ノット
乗員:1,660名
兵装:四一式45口径連装砲4基
八九式40口径連装高角砲8基16門他
搭載機:常用22機 カタパルト2基
1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時、真珠湾攻撃を行った南雲機動部隊の損傷空母を収容するため、太平洋上に進出した。
レイテ沖海戦に参加したが日本海軍機動部隊最後の海戦でも伊勢が航空機を搭載することはなかった。
大戦末期、日本国内では石油・ゴムなどの資源が枯渇し伊勢は連合軍制海権下の南シナ海などを強行突破して資源を輸送する「北号作戦」に参加した後に呉に戻ったんじゃ。
この後の伊勢は燃料不足のため停泊する始末、日本に物資はもう無い、さっさと降伏すれば原爆も落とされなかったろうに。
伊勢はアメリカ軍艦載機の空襲により直撃弾11発を受けて大破着底、戦死者は573名に及んだ。
ニチモ製 戦艦伊勢のプラモデル
ニチモ製30センチシリーズは世界の艦船を多数モデル化している。
基本的に戦艦のプラモじゃが、後部の作りが変わっている。
部品点数も少なく初心者がプラモに親しむシリーズじゃ。
後部に付ける飛行甲板、これでは水上機をカタパルトから射出するくらいしかできない、どうせなら空母にすればいいが手遅れだった、資源は枯渇して飛行機が無いのに航空戦艦と呼ぶしかない。
艦首のアップ、バリが覗いてるのはご愛敬。
後部のカタパルトで射出する、脚がついた航空機の運用は狭くて不可能じゃ。
ワンタッチでモーターライズ可能
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簡単にモーターライズできる構造を考えたんだね。
スクリュー部の断面図、グリスをつめるのはお約束。
甲板を付けると伊勢らしくなった。
喫水線の接合は隙間が無いよう慎重に。
戦艦の艦橋、お城みたいに見える。
艦橋は着弾確認や敵機発見のため高くなった。
単三電池1本で楽しめる、良いプラモ。
伊勢の雄姿、呉に帰って燃料が無いまま爆撃されてスクラップ化された。
今回は航空戦艦伊勢の話でした。
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