鍾馗(しょうき)二式戦闘機、鬼を退治する一撃離脱の名機とは
爆撃機という鬼から日本を守る鍾馗様
鍾馗様の名を付けた日本陸軍の戦闘機があった、それが二式戦闘機、鍾馗
なんじゃ・・
出典:ウィキペディア 鍾馗
まず、鍾馗様について少し調べると・・
唐の6代皇帝玄宗がマラリアにかかり床に伏せていた。
高熱にうなされ夢を見ていたがそれは宮廷内で小鬼が悪さをしている姿じゃ、そんな所に大鬼が現れ小鬼を食べてくれた。
出典:ウィキペディア 鍾馗
玄宗がなぜ小鬼を食べてくれるのか聞くと、自分の名は鍾馗、官吏になるための試験を受けたが失敗し、それを苦に自殺したが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いている・・とのことだった。
いつの間にか熱が下がり病も全快し、玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の姿を描かせると夢に出て来た大鬼だった。
良い話じゃのう、これが日本にも伝わって魔除けの鍾馗様になったんじゃ。
日本陸軍二式戦闘機 鍾馗
1937年(昭和12年)陸軍に制式採用された中島製の全金属製低翼単葉機九七式戦闘機(キ27)は、主脚に固定脚を採用した保守的な格闘戦向けの戦闘機だった。
出典:ウィキペディア 九七式戦闘機
登場当初の九七戦は速度・旋回性に優れた優秀機であったが欧州ではすでに引込脚のMe109メッサーシュミット(ドイツ)とスピットファイア(イギリス)が出現しており九七戦以上の進歩的な新型戦闘機の開発を模索していた。
それらは3種類有り、
①従来通り格闘性能を重視した軽単座戦闘機
②重武装かつ対戦闘機戦にも対大型機戦にも対応できる速度重視の重単座戦闘機
③双発万能戦闘機に基づいた長距離複座戦闘機
これに答えた中島飛行機の①が軽戦の隼、②の対大型機戦にも対応できる速度重視の重単座戦闘機が鍾馗なんじゃ。
鍾馗はドイツの一撃離脱戦闘機、メッサーシュミットを目標に日本最大出力のエンジンのハ109(離昇1,500馬力)、最高速度615km/h、武装に12.7mm機関砲4門を装備していた、又、陸軍は防弾装備に理解が有り座席後部の防弾鋼板や防火タンクも盛り込まれ1942年に二式戦闘機として制式採用された。
出典:ウィキペディア 鍾馗
生産は1944年末に終了し総生産機数は各型合計1,225機で4式戦「疾風(はやて)」に引き継がれたんじゃ。
航続距離が短く敵地深くへの侵攻ができなかったため、一式戦(隼)にくらべて華々しい活躍の機会には恵まれなかったが、三式戦闘機「飛燕」とともにB-29には比較的有力な機体だった。
鍾馗のプラモデル
タミヤ製1/72スケール鍾馗の紹介をします。
日本機は格闘戦が王道で一撃離脱戦は慣れていなかった為にベテランには煙たがられが先進的な若者には受け入れられた。
旋回性能よりも速度を優先させており、優れた上昇力、加速力、急降下性能をも備えた新時代の優秀機であったが、反面、(日本の戦闘機としては)旋回性能と航続距離には劣り、翼面荷重が大きいため初心者には敬遠された。
鍾馗の側面だけ見て、頭でっかちの不細工な戦闘機だと思っていたが、平面図を見て感動した。
主翼の形が変わっており小さい、なりふり構わない機能優先の潔さに驚いたんじゃ。
増加燃料タンクを付けて航続距離を伸ばせた。
シリーズ共通のスタンドと鍾馗用のデカール。
組立説明書にある翼に注目、垂直尾翼を水平尾翼より後ろにして機銃の命中率は良く疾風にも受け継がれた。
陸軍の試験的な取り組みの戦闘機だったんじゃ。
スタンドに飾ると、空を飛んでいるように見える。
旋回性は他の日本機より劣ったが、欧米の戦闘機よりは良好だった。
エンジン部が大きく後部は急に細くなる。
主翼が小さいんだよね、スピードを出せるのが目的だった。
今回は一撃離脱で戦う 二式戦闘機「鍾馗」でした。
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