スピットファイアはバトルオブブリテンでなぜドイツ機に勝てた?
バトルオブブリテンとは
ドイツは1939年9月1日に開始されたポーランド侵攻を皮切りに、翌年の1940年5月、西方電撃戦を開始し、僅か1ヶ月ほどでフランス・ベルギー・オランダを降伏させ、駐留していたイギリス軍も壊滅させるなどヨーロッパ大陸における主導権を獲得した。
有名な電撃作戦の勝利じゃ、機械化した機甲師団(戦車、装甲車等)を育て驚くほどのスピードで進行を成功させた。
日本の戦国時代で言えば武田の騎馬隊の風林火山かのう。敵に反撃の時間を与えないほどの猛進撃じゃ。
ドイツ、ヒットラーは勝利に浮かれ、これによりイギリスが講和を求めてくると予想していたが、ウィンストン・チャーチル首相は徹底抗戦を伝えたので、ドイツは実力行使としてイギリス本土への上陸侵攻を計画する(アシカ作戦)。
上陸戦を成功させるには制空権が必要だとして、7月ごろにはドーバー海峡付近を往来するイギリスの船舶に対して攻撃を仕掛け、数に劣るイギリス空軍を消耗戦におびき寄せようとしたんじゃ。
ドイツは爆撃機の護衛に戦闘機を同伴させたが航続距離が数百Kmしか無く、十分な護衛が出来ないまま犠牲が増えていった。
よくある話で、仮にドイツ空軍に零戦があったら長大な航続距離と優れた空中戦能力で作戦が成功していたかもしれない・・と言うのがある、そういうのは有りえませんけどね(笑)。
イギリスは消耗戦を避けようとしたが質・量ともに圧倒的なドイツ空軍には反撃が出来ず8月中旬にはいよいよ本土爆撃を許すまで消耗していた。
ドイツ空軍は、その後も軍事基地や軍需工場などに猛爆撃を加え9月にはイギリス空軍は壊滅寸前に陥っていたが、9月7日以降、ドイツはベルリンに空爆を受けた報復として突如ロンドンを含む都市部に目標を移したんじゃ。
ヒットラーのイギリス・ロンドンへの憎しみが裏目に出たんじゃ、彼のプライドが作戦を誤らせたことがよくあった、世界初の実用ジェット戦闘機Me262を迎撃機ではなく爆撃機にする命令を出し、せっかくの高速性能をスポイルさせたり・・
幸いイギリス軍は爆撃目標が変わった隙に内陸部に軍事施設を移設するなどして部隊を建て直し抵抗を続けることができた。
数において劣るイギリスは、軍民一体となって空軍を支援したんじゃ。
イギリスのレーダー技術は当時世界で群を抜いており、近代的なレーダー網を活用した迎撃体制を構築し数少ない戦闘機を有効に使う事ができた。
イギリス空軍は爆撃の及ばない内陸に移したので爆撃目標が遠くなるにつれて航続距離が短い戦闘機による護衛もままならなくなり次第に損害を増やし、ついにヒットラーは、あしか作戦の中止を指示した。
イギリスの救世主 スピットファイヤー戦闘機のプラモデル
バトルオブブリテンでドイツ空軍の爆撃機や戦闘機とわたりあったイギリスの戦闘機スピットファイヤーのプラモデルを紹介します。
ハセガワ製 1/32スケールだから大き目じゃ。
スーパーマリンスピットファイヤーMkVbが正式な名前。
箱を開けると珍しい成型色になってる。
翼の形が蛾(ガ)の様な楕円形をしている。
一袋にすべてのパーツが入っていた、程度は上々。
機体もボリューム満点の大きさじゃ。
着色参考の用紙が入ってた、昔のプラモデルは別紙添付で楽しませてくれたね。
組立説明書は写真付きで分かり易い内容になっている。
製造所:スーパーマリーン社
初飛行:1936年3月
エンジン:マーリン45 離陸時出力は1,440 HP(MK-V)
生産数:23,000機
楕円形の特徴的な主翼を持ち、翼断面は高速を発揮するために薄く設計された。主任設計技師であるレジナルト・ジョセフ・ミッチェルとジョセフ・スミスを始めとする彼の後継者たちによって設計されたスピットファイアは、パイロットたちからの支持が厚く大戦を通じて活躍したんじゃ。
座席が精密に再現されている、デラックスシリーズだからね。
パイロットと胴体を組み立て。
車輪の組立、メッサーシュミットもだけど車輪幅が狭いのは翼の構造による制約が有るためか。
キャノピーとプロペラの組立。
スピットファイアは戦局によってエンジン、武装などの仕様をよく変えてます。
平面図を見ると、楕円の翼とイギリス空軍のマークで蛾に似ている。
高速を出す為に翼を薄く設計したんじゃ。
今回はバトルオブブリテンの救世主、スピットファイヤーでした。
バトルオブブリテンが模型で良く分かるよ
価格:5,616円 |
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