零戦は知ってるけどもっと昔の時代は何があったの?
ひろしのブログは昭和物を懐かしむ趣向なんじゃ、例えば零戦なんかはよくお題に上がりますがそれ以前の航空機は何じゃろう。
今回のお題は三菱九十六艦上戦闘機だが日本の航空機はどこから始まったのか調べた。
日本の航空産業は大正時代に始まる。
大正時代っていつか知らないのでついでに調べたら・・
出典:ウィキペディア 大正天皇
大正という元号は大化の改新以降245番目で大正天皇が在位された1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日までじゃが昔すぎて、どうもピンとこない。
当時の出来事をいくつか挙げると、1914年(大正3年)の第一次世界大戦が始まり日英同盟を組んでヨーロッパに派兵し死傷者も多く出たが、アメリカと日本は物資の生産拠点として空前の好景気となったんじゃ。
出典:ウィキペディア 第一次世界大戦
戦争ではすでに戦闘機や戦車が出現してる、戦車の元祖はイギリスの菱形をしたマークⅠだったはず。航空機も複葉機だったけどイギリス、ドイツが制空権を争った。
出典:ウィキペディア 関東大震災
他の大きな出来事は1923年(大正12年)9月1日190万人が被災10万5000人余りが死亡した関東大震災が起こり首都東京が甚大な被害を負った、木造家屋が多いので焼死者が多かったらしい。又、世界中の国からお見舞いと義援金が集まった。
出典:鬼滅の刃
今大人気の鬼滅の刃はこんな大正時代を背景にしている、自動車や飛行機もあったが現代と比べられないレベル、電気も普及しておらず田舎の夜はランプ生活じゃ。真っ暗で妖怪や鬼が出ても不思議じゃない世界だった。
出典:
これが大正時代の女学生じゃ。みんな「はいからさんが通る」みたいな姿をしている。
出典:ウィキペディア 大正時代の乗り合いバス
T型フォードみたいな形じゃがバスじゃ。これに乗れるだけでも贅沢だったろうな。
日本の航空機は何から始まったか
出典:ウィキペディア ソッピース バップ戦闘機
日本では1917年に山下汽船の社長の山下亀三郎という人が航空兵力増強に用いることを条件に、陸海軍に50万円ずつ寄付しイギリス製のソッピース バップを購入した。
エンジン:ル・ローヌ空冷 ロータリーエンジン、80 馬力
最高速度: 180 km/h 航続距離:3時間
上昇率:3,050mまで14分 武装:7.7mm ヴィッカース機銃(プロペラ同調) ×1
バップは第一次世界大戦で活躍した戦闘機で、素直な飛行特性を持ち機動力にも優れ航空母艦の離着陸試験にも最適だった。
出典:ウィキペディア 一〇式(ひとまるしき)艦上戦闘機
日本海軍は純国産化された主力戦闘機を開発するべく三菱に航空母艦に発着可能な機体の開発を伝えた。
これを受け1921年(大正10年)イギリスのソッピース社より招いたハーバート・スミス技師の設計で一〇式(ひとまるしき)艦上戦闘機を開発したんじゃ。
構造は木製骨組に羽布張りの複葉単座機で性能は問題なかった。
エンジン:イスパノ・スイザ製「HS-8F」を三菱で国産化した「ヒ式三〇〇馬力発動機」
全備重量:1,280Kg 最大速度:215km/h 航続時間:2.5時間 武装:7.7mm機銃×2
しかしこれで驚いてはいけない。
出典:ウィキペディア 空母 鳳翔(ほうしょう)
同時進行で航空母艦まで作ったんじゃ。
1920年に竣工した鳳翔(ほうしょう)は日本海軍初の航空母艦で起工時から航空母艦として設計されて完成した世界初の新造空母、この完成や空母着艦技術の指導などイギリス人技術者の協力が大きかった。
基準排水量:7,470t 全長179.5m 最大幅:18.98m
主機:バーソンズ式高低圧ギヤード・タービン2基 出力:30,000馬力
速力:25.0ノット 乗員:548名 搭載機:艦戦:6機、観攻9機、予備6機
零戦の設計者でもある堀越次郎について
1933年から1934年にかけて欧米では単葉の高速機が順次開発されていた。
しかし海軍では航空母艦への着艦と空戦時の旋回性を重視し、単葉への切り替えが遅れていたため優秀な高速機の開発が進められたんじゃ。
それを担ったのは零戦の設計者としても有名な堀越次郎だった。
出典:ウィキペディア 堀越次郎
1903年6月22日群馬県藤岡市に生まれ、東京帝国大学工学部航空学科を首席で卒業
三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に入社後、最先端の航空機技術を学ぶ為にヨーロッパ、アメリカへ1年半派遣された。
1932年、入社5年で設計主任に抜擢され、まだ複葉機が主流な時代において、単葉機の七試艦上戦闘機を設計したが試験飛行中に墜落という厳しいスタートだったんじゃ。
出典:ウィキペディア 九試単座戦闘機
1934年に試作された九試単座戦闘機は三菱製で全金属の単葉低翼機、1号機は逆ギャル型の主翼を持ち日本で初めて全面的に沈頭鋲を採用した大幅な空気抵抗削減をした機体。
2号機は逆ギャル翼を廃止し九六式艦上戦闘機として採用された。
出典:ウィキペディア 九六式艦上戦闘機
量産型の九六式艦上戦闘機
全備重量1,500kg 発動機:中島 寿二型改一 空冷星型9気筒 460馬力
最高速度:405.6km/h 航続距離:1,200km
武装:7.7mm機銃×2 、 30 kg爆弾×2または50 kg爆弾×1
日華事変初期の渡航爆撃の1937年(昭和12年)9月4日、空母加賀搭載の九六式艦戦2機によるカーチスホーク3機撃墜が96式艦戦の初戦果となり、同年中には南京方面の中国空軍を駆逐したんじゃ。
九六式艦上戦闘機の成功はその後の零式艦上戦闘機の開発につながっていく。
出典:ウィキペディア 零式艦上戦闘機
出典: 宮崎駿 スタジオジブリ 風立ちぬ
2013年に堀越次郎をモデルにした宮崎駿の映画作品「風たちぬ」が公開された。
飛行機にあこがれる少年だった堀越二郎は、夢に現れた飛行機の設計家・カプローニ伯爵に励まされ、自分も飛行機の設計家になることを志す。
出典: 宮崎駿 スタジオジブリ 風立ちぬ
関東大震災が発生した際に乗車していた汽車の中で偶然出逢った少女・里見菜穂子と彼女の女中である絹を助ける。その後二郎は菜穂子に結婚を申し込むが、彼女は結核を病む身だった。
出典: 宮崎駿 スタジオジブリ 風立ちぬ
結核といえば当時は不治の病と言われた病気、なんとも切ない作品じゃがぜひ見てほしい。
九六式四号艦戦のプラモデル
九六式四号艦戦(A5M4)は発動機を寿四一型に換装、最も多く1000機が生産された。
このプラモデルがあるので説明します。
今は無きニチモ(日本模型)の1/72スケール 九十六式四号艦上戦闘機じゃ。
ニチモの赤いマークが懐かしい、ずいぶんお世話になった。
1937年当時世界第一級の戦闘機とある。
空中衝突で翼が欠けても生還した機体もあったらしい。
出典:ウィキペディア 九十六式艦上戦闘機
これが有名な写真じゃ、危機一髪で助かってる。
たしか初版は、ひろしが中学生の頃に発売されたと思う。
200円で買えたんじゃ、良い時代だった。
箱を開けると部品がだいぶランナーから外れていた。
綺麗な主翼じゃ、スピットファイヤーみたいな形をしている。
機体を全部軽合金で作り、滑らかな表面に仕上げたんじゃ。
初めての苦労は相当なもんでしょう。
脚は固定式だったが、スパッツ(カバー)を細くして空気抵抗を減らしたそうじゃ。
増加燃料タンクが無いと広い中国大陸は飛べません。
風防は前しかない、相当寒かっただろうな。
昔は小さな接着剤が入っていた。
なぜか型紙が2枚入ってた、ビニール袋に入ってる時はランナーから折れない様にしていたのでしょう。
組立説明書を見るのも楽しみなんじゃ。
細長い紙の片面に書かれていた。
今見ると、凄く小さな機体じゃ、よくこんなのを作ってたもんです。
スタイルが良いね、設計者、堀越氏のセンスがうかがわれる。
小さいけど風格があります。
固定脚も古風で良い感じ。
置いても絵になりそう、グッドデザインじゃ。
今回は大正時代、堀越次郎、九十六式艦上戦闘機などいろいろ書きました。
↓にほんブログ村参加中、ジジイの励みになりますので、よろしければポチッと押してね。
価格:2,600円 |